忍者ブログ
日露戦争~第一次世界大戦(明治37年~大正7年/1904~1918)
* admin *
[6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

作詞 佐々木信綱

見よや見よや玄界灘に
対馬の瀬戸に仇波騒ぐ
現れ来たる敵艦数隻
常陸丸をば囲みて襲う

悔し悔し敵の弾丸に
見る見る船は沈みて行けど
武装をなさぬ運送船の
手出しもならぬ恨みぞ深き

哀れ哀れ忠勇無比の
我がつわものが諸手をつかね
敵に向かわん手立てもあらず
船を挙りて死するかこの日

屍手負い見回しながら
最期は今と心を定め
尊き軍旗押し戴いて
焼くや士官の心よいかに

君に国に捧げし命
捨つるは既に期した身にも
戦の庭を一度も踏まず
みすみす死する恨みはいかに

狂え騒げ大波小波
幾百人のつわものは
対馬の海の水底深く
恨みを呑みて一日に失せぬ

記せよ記せよ玄界灘の
水より深き恨みを記せよ
ウラジオ艦隊長くは置かじ
日本男児の手並みを見せん
PR
作詞 佐々木信綱

蔚山沖の沖遠く
棚引き渡る黒煙
南を指して進み来る
かの三隻を見よや見よ

我が商船の数数多
不法の弾丸の的となし
沈めし敵の艦隊ぞ
待ちに待ちたる艦隊ぞ

金州丸よ常陸丸
撃ち沈めたるその折の
敵の無道の振る舞いは
神人共に憤る

三度濃霧に遮られ
取り逃がしたる敵の艦
我が艦隊のますらおが
恨み呑みつつ待ちし艦

豊栄昇る朝日影
光眩き海原を
轟き渡る砲の音
天地を込むる砲煙

雨より繁く撃ち出だす
我の砲火を被りて
敵艦いかで向かい得ん
敵艦いかで支え得ん

重き痛手を負いつつも
逃ぐるやロシアグロンボイ
一人後方に残されて
沈み果てたりリューリック

幾百人の敵兵は
渦巻く波に漂いて
浮きつ沈みつ呼び叫ぶ
沈みつ浮きつ呼び叫ぶ

刃向う敵に向かいては
鬼神のごとく戦えど
力無きをば憐れみて
救いぞ上ぐる敵兵を

彼が無道に報ゆるに
我人道を以てして
溺れ溺るる敵兵を
救いし数は六百余
作詞 佐々木信綱
作曲 上真行

押せども押せども車は行かず
進まぬ荷馬労わりて
険しき坂道深き谷
道無き道を進み行く

梅雨時の沼なす道も
日陰燃え立つ砂原も
吹雪烈しき山陰も
車を押しつ馬引きつ

靴は破れつ草鞋は切れつ
足は傷付き血は流る
雨の夕暮れ颪の朝
十里十二里十三里

暗き内より夜更くるまでも
苦しき勤め続けつつ
疲れに疲れ疲れても
安く眠らん暇も無し

等しく兵と召されし輸卒
砲の響きに血は湧けど
わき目もふらず一筋に
糧食弾薬運び行く

人に勝れる苦しみありて
華やかならぬその勤め
戦は休む時あれど
彼等は休む時あらず

御国の安危に関わる戦
御国の為の一言に
その一言に身を捧げ
あらゆる辛苦に耐え忍ぶ

輜重輸卒の隠れし勲
隠れし力人知れず
国に捧ぐる勤めには
優り劣りのあるべしや

輜重輸卒の苦しみ思え
隠れし辛苦思え人
隠れし勲思え人
涙ある人血ある人
敵の要害遼陽城や
固き保塁八重にも築
二十余万の兵をば集め
蟻の通わん隙間もあらず

城も固かれ多かれ兵も
やがて落さん撃ち尽くさんと
勇み勇めるますらお武夫
三手に分かれて北へと進む

中に右翼は弓張嶺の
月に銃剣揃えて迫る
敵は弾丸射下ろすのみか
岩を落として手強く防ぐ

されどついには湯河の谷に
入りて蠢く袋の鼠
かくて両断すれども敵の
左右の翼はなお張る力

尽くせ尽くせ苛てど彼の
砲火夜を日に継ぎても絶えず
かつや篠衝く大夕立に
山は煙りて攻むるに迷う

されど怯まぬ我がつわものは
やがて紅沙の嶺をば奪い
さらに大西溝辺占めて
いよよ破竹の勢い猛し

中央左翼も相連なりて
夜も眠らず攻めつつ進む
孟家房より首山保かけて
込むる硝煙飛び散る火花

戦半ばに下りし勅語
泣いて拝する士卒の心
君の御為と疲れも忘れ
息のある間は進めと奮う

ついに堪えず退く敵を
太子河岸に追い詰め撃てば
人の波湧く遼陽城や
停車場辺り逆巻く炎

今や敵軍死に物狂い
我も勤めを果たさで置かず
己が手傷を縛りもあえず
友の屍を踏み越え進む

十日継続戦線十里
史にも見えざる大激戦の
果ては九月の四日の朝
落ちぬ遼陽遼陽落ちぬ

落ちぬ遼陽遼陽落ちぬ
呼べや万歳万歳呼べや
国を挙りて喜び歌い
祝う灯火地上の星か
作詞 真下飛泉
作曲 三善和気

世に文明の花と咲く
赤十字社の看護婦が
帰隊の勇士送りつつ
長い廊下の物語

元私は京都市の
さる病院に居ましたが
去年の春の桃の頃
国の父より御便り

「お前もよくよく知る通り
この度戦が始まって
まず海戦には勝ったれど
敵は大陸ロシア国

元より仁義の我が軍に
勝利はありと言いながら
御国に生まれた者として
これがうかうか見らりょうか

今朝も今朝とて新聞で
お天子様の御勅語を
読んで思わずこの父は
熱い涙が落ちたぞや

お前の兄がいたならば
兄の少尉がいたならば
この度こそは御天子に
立派な忠義をさせよもの

隣家近所の誰彼も
銃剣下げた男振り
見るにつけてもつくづくと
去年死んだが恨めしい

わしも昔は二本差し
腕も少しはあったれど
六十越えたこの年で
何のお役に立つものか

丁度幸い女じゃが
お前は今年二十一
十五の春から修行して
看護の技もはや五年

兄に代わって御奉公
一時も早く志願せよ
一人の親に孝行の
道は一筋抜かるな」と

噛んで含めた御手紙
読んで私は泣きました
早速これを院長に
見せてお話しましたら

院長様もつくづくと
読んでお感じ下さって
あちらこちらとご尽力
とうとう本望遂げました

本望遂げて小一年
船の中やらこちらやら
敵も味方もお世話して
お別れするも何十度

お別れ申すその度に
立派なお体見るにつけ
例えば花の朝顔を
朝見るような心地して

国の方でも父上が
喜んでいてくれましょう
「皆これ君や国の為
御武運祈っております」と

情に篤い看護婦の
身の上話聞く武夫
「御兄君の御忠義は
私がする」と言い放つ
BACK NEXT
ブログ内検索
忍者ブログ // [PR]

template ゆきぱんだ  //  Copyright: 日露戦争・第一次世界大戦 All Rights Reserved