日露戦争~第一次世界大戦(明治37年~大正7年/1904~1918)
作詞 真下飛泉
作曲 三善和気
今日の目出度き凱旋を
迎えん為に勇士等の
長く子孫に伝うべき
名誉を歌い数うべし
まずは我が二十連隊は
明治三十七年の
五月五日に勇ましく
いよいよ征途に上らんと
桂大佐に率いられ
練兵場を後に見て
親兄弟に送られつ
足並み高く進みしが
神戸の港を船出して
大孤山へと上陸し
王家屯なる初陣に
敵騎二百を踏み躙り
血祭り良しと祝いつつ
巌磐嶺分水嶺
折木城と追い迫り
追い落としつつ進軍し
欧露の精を掻き集め
クロパトキンが死守したる
天下分け目の大戦
遼陽城に向かいたり
我が連隊はこの時に
上官長を失いて
死傷は山と重なるも
陣地一寸退かず
将校全て無くなりて
任務はいよいよ重ければ
古兵がすかさず躍り出で
指揮を執りたる隊もあり
やがて起こしし突撃に
堅塁遂に陥りて
第一番に遼陽の
東南門を占領し
我が連隊旗真っ先に
大和颪にはためきて
感状ありし勲功は
いつの世にかは忘られん
次は沙河の会戦に
時は十月十二日
水も寝沈む夜半頃
丸井少将長として
敵が要地と死守したる
三塊石山夜襲して
遂にこれをば奪いしは
類稀なる勲なり
それより後は冬籠もり
春を迎えて揚々と
厚き氷も解くる頃
奉天付近の大戦
この時歩兵と工兵は
万宝山を抜かん為
堅く守れる胡老屯
角面保に打ち向かう
こはこれ三月二日より
七日に渡る六日間
およそ歴史にまたと無き
苦戦の内の苦戦にて
三十門の砲の前
屍は山と重なるも
逆襲数度に及べども
我は一歩も退かず
忠誠無二の我が兵は
鬼神も驚く勇気もて
遂にはここを打ち破り
万宝山を奪うたり
かくて奉天付近なる
この戦も勝利にて
すかさず全軍追撃の
鉾を揃えて進みしが
折しもここに両国の
平和は図らず結ばれて
我が第二十連隊も
凱旋する日となったれば
今日まで所々の戦いに
血をもて錦と飾りたる
高き誉れの連隊旗
迎えて仰げや諸人よ
作曲 三善和気
今日の目出度き凱旋を
迎えん為に勇士等の
長く子孫に伝うべき
名誉を歌い数うべし
まずは我が二十連隊は
明治三十七年の
五月五日に勇ましく
いよいよ征途に上らんと
桂大佐に率いられ
練兵場を後に見て
親兄弟に送られつ
足並み高く進みしが
神戸の港を船出して
大孤山へと上陸し
王家屯なる初陣に
敵騎二百を踏み躙り
血祭り良しと祝いつつ
巌磐嶺分水嶺
折木城と追い迫り
追い落としつつ進軍し
欧露の精を掻き集め
クロパトキンが死守したる
天下分け目の大戦
遼陽城に向かいたり
我が連隊はこの時に
上官長を失いて
死傷は山と重なるも
陣地一寸退かず
将校全て無くなりて
任務はいよいよ重ければ
古兵がすかさず躍り出で
指揮を執りたる隊もあり
やがて起こしし突撃に
堅塁遂に陥りて
第一番に遼陽の
東南門を占領し
我が連隊旗真っ先に
大和颪にはためきて
感状ありし勲功は
いつの世にかは忘られん
次は沙河の会戦に
時は十月十二日
水も寝沈む夜半頃
丸井少将長として
敵が要地と死守したる
三塊石山夜襲して
遂にこれをば奪いしは
類稀なる勲なり
それより後は冬籠もり
春を迎えて揚々と
厚き氷も解くる頃
奉天付近の大戦
この時歩兵と工兵は
万宝山を抜かん為
堅く守れる胡老屯
角面保に打ち向かう
こはこれ三月二日より
七日に渡る六日間
およそ歴史にまたと無き
苦戦の内の苦戦にて
三十門の砲の前
屍は山と重なるも
逆襲数度に及べども
我は一歩も退かず
忠誠無二の我が兵は
鬼神も驚く勇気もて
遂にはここを打ち破り
万宝山を奪うたり
かくて奉天付近なる
この戦も勝利にて
すかさず全軍追撃の
鉾を揃えて進みしが
折しもここに両国の
平和は図らず結ばれて
我が第二十連隊も
凱旋する日となったれば
今日まで所々の戦いに
血をもて錦と飾りたる
高き誉れの連隊旗
迎えて仰げや諸人よ
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