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日露戦争~第一次世界大戦(明治37年~大正7年/1904~1918)
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時しも二月十九日
嵐も眠るさ夜中に
軍艦浅間の總員は
上甲板に整列し
死地に載り入る五勇士の
訣別式を擧げにけり
此時八代艦長は
恩賜の御杯取り出し
水酌かはしいひけらく

今われ汝五勇士を
萬死の船に送らんは
死の口開く魔の海に
愛兒を葉つるに異ならず
されども我は百人の
子あらば百人悉く
斯る壯擧に就しめん
よしや一人の子なり共
如何で後を取すべき

嗚呼嗚呼汝五勇士よ
若しや左手を失はば
右手のみにても働きや
又も両手わ失はば
二つの足にて働けや
両足共に失はば
頭部のみにて働けや
斯くて命これ從びて
重き任務に服むべし

嗚呼嗚呼汝五勇士よ
死するは覚悟の上とても
決して死をば軽ずな
死後の誉に狂ふなよ
ただ唯一意天佑を
確く信じて疑はず
生死を神の手に任せ
霊の御国に安んじて
斯の大任を成し遂げよ

言葉終われば一斉に
唱ふる帝国萬歳の
聲のどよみの勇ましや
浪よ浪に傳はりて
闇に消えゆく軍楽の
離別の曲の凄じや

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親とも思ひ僕とも
妻とも事も思ひたる
ああわが馬よ磨墨よ
何故お前は死んだのだ

ここ満州のきび畑
たふれし馬の鬣を
さすりつ呼べる一士官
聲ふるはして目に涙

指折り繰れば五年前
わが乗る馬と定まった
口にはいはねど心では
そのとき兄と誓ひしぞ

多くの人に送られて
日本の国を去りしとき
遠き故郷を眺めては
お前と一緒に泣いたぞや

寒い風吹く山の上
弾丸に雨ふる森の中
我は誰かを頼むべき
命の親と思ひしぞ

起き臥しするも二人づれ
いずこへ行くも二人づれ
はなれしこともなきものを
何故お前は死んだのだ

天晴れ手柄をした上で
再び国へ歸つたら
お前と共に褒められて
大きい顔もしてみたい

少しは楽もさせやうに
ああもかうもと思ひしに
これがこの世の別れとは
天をも我は恨むぞや

敵地へ来てからこ一年
危ういところへ飛びこんで
よく忠實に働いた
この恩はいつかは忘るべき

決して怨んでくれるなよ
天皇陛下もお喜び
名誉の戦死を遂げたのだ
立派な手柄をしてくれた

ほつておいては済まないが
いま戦争は半ば故
遅れて恥を見やうより
我は直ちに進むぞや

最後の水を飲めよとて
口に水入れ押し當てて
南無阿弥陀仏と手を合はす
武士の情けに感じたか

かすかに噺く馬のこえ
折から聞こゆるときの聲
唇噛みし一士官
三日月眺めしのび泣く
文部省唱歌

御弓の先に金色の鵄
輝く光きらきらぴかぴか
眼眩んで逃げ行く悪者

昔の光今もそのまま
胸の勲章ひらひらぴかぴか
誉れ輝く日本軍人
文部省唱歌

一つとや
人々忠義を第一に
仰げや高き君の恩
国の恩

二つとや
二人の親御を大切に
思えや深き父の愛
母の愛

三つとや
幹は一つの枝と枝
仲良く暮らせよ兄弟
姉妹

四つとや
善き事互いに進め合い
悪しきを諌めよ
友と友
人と人

五つとや
偽り言わぬが子供等の
学びの初めぞ慎めよ
戒めよ

六つとや
昔を考え今を知り
学びの光を身に添えよ
身に付けよ

七つとや
難儀をする人見る時は
力の限り労われよ
憐れめよ

八つとや
病は口より入ると言う
飲み物食物気を付けよ
心せよ

九つとや
心は必ず高く持て
例え身分は低くとも
軽くとも

十とや
遠き祖先の教えをも
守りて尽くせ家の為
国の為
文部省唱歌

我は海の子白浪の
騒ぐ磯部の松原に
煙棚引くとまやこそ
我が懐かしき住家なれ

生れて潮に浴して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せ来る海の気を
吸いて童となりにけり

高く鼻つく磯の香に
不断の花の薫りあり
渚の松に吹く風を
いみじき楽と我は聞く

丈余の櫓櫂操りて
行手定めぬ浪枕
百尋千尋の海の底
遊び馴れたる庭広し

幾年ここに鍛えたる
鉄より堅き腕あり
吹く塩風に黒みたる
肌は赤銅さながらに

浪に漂う氷山も
来らば来れ恐れんや
海まき上ぐる竜巻も
起らば起れ驚かじ

いで大船に乗出して
我は拾わん海の富
いで軍艦に乗組みて
我は護らん海の国
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